8年間、私の代わりに両親の側にいてくれた愛犬

8年間、私の代わりに両親の側にいてくれた愛犬


 

 

もう一度、犬のいる生活を

 

我が家に犬を迎えるのは、二匹目でした。
一匹目は、母の友人から譲り受けたマルチーズの「ちゃめ」。

 

我が家は私はもちろん、父も母も犬が大好きでしたが、ちゃめとの最期の別れが忘れられず、もう犬を飼うことはないだろうと、家族の誰もが思っていました。
ですが、「ちゃめ」の死からちょうど10年。

 

新しい天使は、突如我が家へ舞い降りることになったのです。
うちの両親は、小さな居酒屋を2人で切り盛りしていました。

 

ですがある日、脳梗塞で母が倒れ入院してしまったのです。
幸い後遺症は軽く、リハビリも順調に進み、家で生活できるまでに回復しました。

 

入院生活から解放されたものの、仕事人間だった母は家で暇を持て余していました。
でも、家では手のかかるような子供もおらず、父も私も昼間は仕事。

 

そこで、誰からとも出た話が

 

「また、わんちゃん飼ったらどうかな?」

 

でした。
誰が言い出したのか、誰が賛成したのか、はたまた誰か反対したのか?

 

今では思い出せませんが、私たちは

 

「とりあえず見るだけ見てみよ!」

 

と、話が終わる頃には、車に乗り込んでいたのでした。

 

閉店間際のペットショップで出会った天使

 

今のように、大型のイオンなどはありませんでしたので、国道沿いの小さなペットショップへ足を運びました。
そこで出会ったのがトイプードルとスコッチテリアのミックス犬。

 

小さな小さな体に、フワッフワの薄茶色のクリクリの毛!
そして、鼻より小さなつぶらすぎる瞳。

 

そんな瞳でこちらを見つめながら、よちよちと覚束ない足取りで、小さなゲージの中を元気に歩き回っている犬が2匹。
か、か、可愛すぎる。

 

 

その頃、ミックス犬が流行り出した頃で、

 

「あー、可愛すぎる。そしてお値段もさぞかし高すぎるんだろうなー」

 

なんて思いながら、値札を見ると。
30000。

 

30万かー、うんうん、そーだよな、それくらい、、、ん??0がいくつ?
え!?3万?間違ってるよこれ。

 

店員さんに聞いてみると

 

「いや、男の子が3万で、女の子が4万です」

 

とのこと。
そして続けざまに

 

「うち、明後日で閉店するんです、だからもし飼うなら、明後日までにお迎えにきてあげてくださいね」

 

えーーー!なんじゃそりゃ!!
だから訳わからん値段設定なのか。

 

確かによく見ると、犬も猫も数匹しかいない。
でも、この子たちは、あと3日で家族が見つからなかったらどうなるんだろう?

 

怖くて聞けませんでした。
その代わり、私はお財布の中身を再確認。

 

顔を見ると、父も母ももう心は決まったようでした。
母の希望で、2匹いるうちの男の子を我が家へ迎え入れることに。

 

この運命のいたずらのような形で、悩むまもなくトントン拍子にことは進み、我が家へ10年ぶりの子犬がやってきたのでした。

 

久しぶりの犬のいる生活

 

犬のいる生活。
それは家族が増えること。

 

家族がリビングに集まる時間が増え、笑いが増え、幸せな時間が増え、そして、仕事が増える(笑)
最初の「しつけ」本当、大変ですよね。

 

言葉が通じるようで通じないようで。
母も四苦八苦していました。

 

でも、ダメなことをして叱っても、

 

「えっ?」

 

みたいな顔で見つめられると、許してしまう(笑)
そして、カミカミ。

 

あの子犬のカミカミって、なんであんな魅力的なんでしょうか。
噛まれてるのに、そしてある程度痛い時もあるのに、可愛い。

 

一生懸命な仕草と、なんとも言えない歯茎で噛まれてる感触、今でも鮮明に思い出せます(笑)
彼らはそれが許されると知っている。

 

確信犯だと思われます。
あと、名前は私が

 

「ティラミス」

 

がいいと提案したのですが、

 

「そんな難しい名前言えない!」

 

と、父にも母にも反対されまして。

 

「チョコチョコじっとしてないから、チョコでいいんじゃない?」

 

と、単純明快な理由で

 

「チョコ」

 

と名付けました。
そういえば、我が家に来て3日目くらいだったと思いますが、どうしてもチョコに会いたくなって、仕事を早退したのを覚えています。

 

恐るべし子犬天使パワー。
ですが、この時はまだ誰も気づいていません。

 

子犬天使が、野生ライオンのように!?成長していくとは、、、。

 


 

思いもよらぬ散歩効果

 

家で療養中の母が、寂しくないようにと、我が家へ迎え入れたチョコ。
病後の母に、思いもよらぬ効果をもたらすのでした。

 

チョコの排泄は、主に散歩でした。
時間になると散歩に行きおしっこをしていました。

 

ある程度の散歩の時間は決まっていましたが、それ以外の時間におしっこをしたくなると、ちゃんと吠えて散歩に誘います。
家にいるのは主に母なので、母にとっても散歩はいいリハビリでした。

 

ですが、チョコは成長していくに連れ、どんどん散歩が好きになり、散歩に出ると帰るのを嫌がりました。
必然的に、散歩の距離はどんどんと増えました。

 

それと共に、最初は本当に家の真ん前で少し歩けるくらいだった母が、どんどんと歩ける距離を伸ばして行ったのです。
あの頃は、すごいね!よかった!くらいにしか思いませんでしたが、今思うと本当にチョコに感謝です。

 

チョコの散歩があったから、頑張って歩けたんだと思います。
チョコがいてくれたから、母は今、普通の生活が送れている。

 

病後、家でリハビリを支えたのは、私でも父でもなく、チョコだったのです。
ありがとうチョコ。

 

何度も伝えた「私の代わりにお願いね」

 

チョコが我が家に来て、6年程経った頃です。
私は仕事の都合で、東京へ行くことになりました。

 

私はそれまで実家を出たことがなかったので、両親はとても寂しかったと思います。
私は不安よりも、初めての1人の生活に胸を躍らせていました。

 

上京する前の日の夜、チョコに私は話しました。

 

「私は明日から、この家にはいないからね。この家で、一番若いのも、一番強いのも、一番元気なのもチョコだからね!私がいない間、お父さんとお母さんをよろしく頼んだよ!」

 

と。
チョコは真剣な面持ちで聞いていました。

 

と、言いたいところですが、知らん顔してた気がします(笑)
その後、お正月や連休、お盆などで実家に帰るたび、私は必ずチョコにお願いしました。

 

「お父さんとお母さんのことまたお願いね!」

 

東京に戻る前の日の夜は、定番の会話になりました。
相変わらずチョコは、知らん顔してました。

 

でもチョコは、しっかりと私の願いをきいてくれました。
そして、私が上京してから数年後、ついにお父さんも体力的に厳しいとのことで、居酒屋も閉店し、2人の隠居生活が始まりました。

 

 

8年間、両親を支えてくれたチョコ

 

結局私は、8年間東京にいました。
実家に戻った時に、驚いたのは、チョコのワガママっぷりでした。

 

散歩に行った直後でも、行き足りないと吠えて連れていけと急かす。
人間の食事中、欲しいものをもらえるまで吠える。

 

父が食べているものを横取りする。
当然、巨大化しており。

 

私がいない8年間で、子犬天使は野生ライオンに成長していました。
これだけ書くと、どこが支えていたんだ??

 

と思われるかもしれませんが。
両親にとっては、チョコが一人娘の私そのもの。

 

チョコは、わがままな私そっくりに育っていたのです。(笑)
でもチョコのわがまま一つ一つを聞いている両親は、とても幸せそうでした。

 

何度も散歩に行かされるのも。
散歩中に言うこと聞かず全然違う方向に行かされるのも。

 

食べてたパンを横から取られるのも。
食べたいものがもらえず、拗ねてソファでおしっこした時も。

 

両親は笑っていました。
幸せそうに笑っていました。

 

ずっと仕事人間だった母と父。
病気と加齢によって、仕事をやめた2人の生活を豊かにしてくれていたのは、紛れもなくチョコの存在でした。

 

一人娘の私が、両親のターニングポイントを近くで支えられない代わりに、チョコが一人息子としてしっかりと見守っていてくれてました。
今思い返すと、チョコには頭が上がらないなーと思います。

 


 

チョコらしい最期

 

そんな元気いっぱい、わがままいっぱいのチョコは、18年間私たちに沢山の幸せを与えてくれました。
亡くなる2週間前まで子犬のように元気でした。

 

最後の2週間は、ご飯が食べられなくなり、水だけで頑張っていました。
一生懸命水を飲む姿が、まだ俺は生きるんだ!と言う力を感じられて、我が強いチョコらしくて、そんな時でさえ微笑ましい気持ちになりました。

 

そして最後は、リビングで私が仕事の休みの日、家族みんなが囲む布団の上で永眠しました。
一つも苦しまず、声をあげることもなく、眠ったまま。

 

そのまま息がとまりました。
頑張って頑張って、家族が揃う日を待っていてくれたのだと思います。

 

あの日、閉店間際のペットショップで出会ったチョコ。

 

あれは運命のいたずらなんかではなく、私たちの家族に必要だと、神様がたどらせてくれた赤い糸だったと思います。
ありがとうチョコ。お疲れ様。

 

ご購読ありがとうございました。

 

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